【基礎編】ヌビアの遺跡群について

こんにちは。

 

前回、世界遺産は国境を越えた人類の共通財産という話をしました。では、どのような経緯でその考えが浸透したのでしょうか。

それを考えるうえで、どうしても外せない一つの遺産救出活動が1960年代に行われました。

いわゆる、ヌビアの遺跡群救出キャンペーンです。

世界遺産」という考え方がなぜ生まれたか、そしてこの考え方がなぜ世界中に浸透したのか、このルーツはヌビアにあると言っても過言ではありません。

今回は、世界遺産を語る上での最重要地域、ヌビアについて説明させて頂きます。

 

ヌビアの遺跡群救出キャンペーン

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エジプトはナイル川流域、ヌビアには世界的な遺跡が存在します。その中でも、アブ・シンベル宮殿は特に有名です。

エジプトを舞台にしたジョジョの3部にも出てきました。オインゴ・ボインゴ兄弟との闘いあたりで出てきた記憶があります。

 

実はこの遺跡、今から半世紀ぐらい前に水没するところでした。

1952年、当時のエジプト大統領ナセル氏は、アスワン・ハイ・ダムの建設計画を策定。国民の生活水準を高めるためにも、ダムの建設は不可欠。近代化のために避けては通れないものでした。

しかし、ダム湖を作る事はエリア的にも遺跡を水没させる事とイコールのため、経済開発と遺産保護の両立という難問に迫られたナセル大統領は、ユネスコに救済を依頼する事となります。

そこで誕生したのが遺産救済キャンペーンです。

 

救済キャンペーンによって生まれたもの

1960年開始の遺産救済キャンペーンは、1964年に本格化しました。一つの国の遺産救出に約50もの国が名乗り出て、大切な遺産を守り抜くことに成功します。

これにより、「遺産とは人類共通のもの」という理念が生まれます。この理念こそが、後の世界遺産へとつながっていく事となるのです。

この話は決してエジプトだけのものではありません。有名観光地ヴェネツィアなども、以前は水没の危機にありましたが、同様に救済キャンペーンが行われました。

こういった取り組みの一つ一つこそが、世界遺産の原点となるのです。

 

ここ数年、世界遺産登録を巡って二か国間の外交問題が生まれたりするなど、不穏なニュースを目にする事も増えました。

そういった現在だからこそ、ヌビア救済キャンペーンという世界遺産の原点に目を向ける必要もあるのかもしれませんね。

世界遺産とは、元を考えれば、「人類の共通財産をみなで守りましょう」という非常にシンプルなものだから。

 

今回は以上です。

さようなら。